2009年06月29日

量子コンピュータ

アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックスはEPR相関として認知されるようになり、ここで生じる離れた場所どうしの状態の絡み合いを量子もつれと呼ぶ。EPR相関は量子もつれを利用して離れた場所へ状態が送られる現象として理解でき、これを量子テレポーテーションと呼ぶ。
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計算機の中の電子の状態は本来量子力学的に記述されるとすると、0 または 1 の2値(1ビット)ではなく、 0 と 1 が重ねあわされた途中の値を持つ場合がある。この量子論的な状態を1量子ビット (qubit) と呼ぶ。複数のqubitに対してユニタリー変換を活用して演算を行うことにより、古典計算機では実現し得なかった並列処理が可能になる。

現在情報通信分野で使われているRSA暗号などの暗号システムは、大きな桁数の素因数分解が事実上不可能である事を前提として成立しているが、量子コンピュータが実現した場合この前提が崩れる事が1994年にShorによって証明されている。また、関連する数学の分野では因数分解がNP完全問題かどうかが論点となっており、もし因数分解がNP完全問題である事が証明されれば、すべてのNP完全問題が量子コンピュータによって解かれる事になる。

2009年06月12日

伝導の速度と活動電位を調べる

伝導の速度と活動電位を調べる。運動線維のみで活動電位が低下し、伝導速度は運動線維・感覚線維ともに正常である。ただし頸椎症を合併して非典型的所見を示すことも多い。
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神経の障害が疑わしい部位で、電位の振幅が大きくなり、多相性電位が現れる。

血液検査 [編集]
HAMなら抗HTLV-I抗体が出る。

画像診断 [編集]
脊髄MRIによって脊髄の疾患を除外する。

治療 [編集]
根治を期待できる治療法は現在ない。グルタミン酸放出抑制剤のリルゾール(商品名リルテック)は進行を遅らせることが確かめられており、健康保険の適用になる。他に、メチルコバラミン(ビタミンB12誘導体)超大量療法も試みられることがある。対症療法として、呼吸筋麻痺が起こると人工呼吸器を装着する。嚥下障害があると、栄養管理のため胃瘻や中心静脈栄養を使う。その他、QOL向上をはかって、流涎や強制失笑に対する薬物療法を行うこともある。

予後 [編集]
呼吸筋麻痺を起こすと、延命治療として気管切開による人工呼吸器の選択が検討される。 人工呼吸器装着後も麻痺は進行し、末期には眼球運動も麻痺し、本人意思の確認は極めて困難になる。

なお、身体障害者手帳の等級変更に注意を払う必要がある。 身障手帳は診断時障害のみが反映されるため、進行性疾患では必要な給付がすぐに受けられない場合がある。

意思の疎通 [編集]
人工呼吸器装着に伴い、会話ができなくなると、眼球運動を介助者が読み取り、文字盤を利用するなどしてコミュニケーションを行う。 また、本人の意思による筋の収縮、あるいは脳波などが検知できる場合は、重度障害者用意思伝達装置の使用が検討される。導入効果は早期であるほど高い。

2009年06月07日

プラス溝 (+) のあるねじを回すのに使われる

プラス溝 (+) のあるねじを回すのに使われる。アメリカのフィリップス・スクリュー社が1933年に J・P・トンプソン (J.P. Thompson) の発明した特許を買い取り発売したことに由来するため、フィリップス型ドライバー (英語: phillips screwdriver) とも呼ばれる。電気メーカーの Philips(L がひとつ)とは無関係である。

ねじの溝にドライバーの先端を合わせると自然に回転軸が合うので、作業性に優れる。先端を着磁したものでは、かみ合った状態のまま逆さにしてもねじが落ちないので、より作業性が良くなる。またマイナスドライバーに比べ大きい力に耐えられる[要出典]特長があるが、かたく締まったねじを回す際にドライバーの先が浮き上がるので、強く押しつけながら回す必要がある。

プラスの十字穴から45度ずれた位置に溝を設けたねじ(posidriv)用の刃先をもつドライバーである。プラスドライバーに似ているが寸法規格が違い、刃先とねじが滑らないように組み合わさるため大きな力で締め付けができる。イギリス発祥のため、特にヨーロッパでは多く使われている。

類似の規格としてスパドライブ(supadriv)がある。
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六角穴付きボルト(キャップスクリュー)に使用する。大きなトルクが必要な場合は、六角棒スパナ(アーレンキー)を用いる。

トルクス(六角穴付きボルトに似た六芒星状の穴を持つねじ)に対応したドライバー。携帯電話・家庭用ゲーム機など、簡単に開けられては困るような場所に使用される場合もある。中央部に突起を設け、専用工具以外の工具による分解をより困難なものにした「いじり止めトルクス」もある。

2009年04月24日

レジスタンス運動

レジスタンス運動(仏:Résistance, 英:Resistance)は侵略者や占領軍に対する抵抗運動をさす。または、権威に対し特定の目的を認めさせようとする組織的活動をさす場合もある。

レジスタンスという言葉は意図する/しないに関わらず政治的な色彩を帯びている。これは対決する権威、政府、統治体制の正当性が見る者により変わってくる為である。レジスタンス戦士、レジスタンス運動といった言葉と、テロリスト、テロリズムとの間には、その拠る立場に基づく曖昧な相違しか、時には認められない。
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レジスタンス運動の戦略は、受動的レジスタンス運動、いやがらせやサボタージュ、武装してのゲリラ,パルチザン活動などに分類される。こうした運動に直面する政府や体制は、たとえ軍隊のみを目標としていても、レジスタンスをテロリズムとして扱うことが多い。

武力闘争に勝利、もしくは穏健主義・武装放棄に路線変更して政党化の後に合法的に統治機構側に転じた例もある(イスラエル、南アフリカ共和国、旧ユーゴスラビア、パレスチナ自治政府、アイルランド、北朝鮮など)。

第二次世界大戦では、多くの国でナチス・ドイツの侵略に対するレジスタンス運動が行われた。イギリスのSOE(特別作戦部)に支援されたフランスのレジスタンスが有名だが、ドイツ国内にも反ナチスの抵抗運動が存在し、様々な活動を行った。ドイツの侵略の危機にさらされたイギリスでは、被占領後のレジスタンス運動を事前に準備していたとされる。

1977年以降はジュネーヴ諸条約の追加議定書等により一定の交戦法規を遵守する場合、レジスタンスは戦闘員としての待遇を認められるようになった。

2009年04月06日

ペグを回すことで調弦を行うが

調弦方法 [編集]
ペグを回すことで調弦を行うが、E線はペグによる音程の微調整が困難であるため、アジャスターと呼ばれる小さなネジをテールピースに取り付けて調弦する。子供用ヴァイオリンは、子供がうまくペグ調弦できないこと、またフルサイズに比べペグが回りにくいことなどから、調弦し易いようにアジャスターが全ての弦に付いているものがある(弦に直接取り付けるタイプのものとは別)。

普通は音叉などでA線を440ないし442Hzに調弦し、A線とD線、D線とG線、A線とE線をそれぞれ同時に弾いて、完全五度の和音の特有の響きを聞いて調弦する。協奏曲演奏に際して、442Hzを越えるように調整して華やかな独奏ヴァイオリンを引き立たせる方法もある。

バロック・ヴァイオリンではピュア・ガット(金属の巻かれない裸のガット弦)を用い、多くの場合A線を415Hz(バロック・ピッチ)あるいは392Hz(ベルサイユ・ピッチ)に調弦する。バロック時代のピッチは今より低く、バロック・ヴァイオリン自体の性質上、そのピッチが適切だからである


木製の竿(スティック)を直線に削り出し、慎重に火を入れて適度なカーブを持たせた竿に、馬(蒙古馬)の尾の毛(白毛)を平たく張る。この毛に松脂を塗って摩擦力を生じさせ、弦をつかむ。 松脂は粉末として毛の間に蓄えられるという要素以上に、松脂が弦との摩擦による熱で毛に溶けつき適度な粘りを生じる。松脂をぬってしばらく弾き、その粉末が適度に溶けつくことで音色が安定する。そして、ある程度弾いて松脂が適度に毛に溶けつくと、松脂の粉末が弦の下に落ちる、ということは無くなる。

スティックは通常ブラジルウッドやペルナンブコという南米産の木で作られるが、スネークウッドも少数派ながら使われている[要出典]。現代ではブラジルの輸出規制もあり優良なペルナンブコは入手が難しくなってきている。 最近では繊維強化プラスチック (FRP) 製、カーボンファイバー、グラスファイバー製の弓もある。同じ人工繊維製でもグラスファイバー製の弓は一般的に安価であり、プロ用のものはきわめて稀である[要出典]。対照的にカーボン製の弓は弾力性、剛性、湿気への強さなど優れている面が多く中級からプロ仕様のものが主流である。現在では技術力の向上により、手作りのペルナンブコ製の弓よりも性能が高いものも多数ある。

演奏しない時は、弓の毛は通常ゆるませておく。

先端(ヘッド)にはチップと呼ばれる薄い保護板があり、牛骨又や銀板が用いられている。古い弓では象牙(現在は違法)を使っているものも多数ある。最近では安価なものにはナイロン系の合成樹脂なども用いられる。 銀板などの金属製チップは(英国の作者が良く用いる)ピンを差して固定しているため、ヘッド部分の内側に亀裂が入りやすい。竿を振った際の重量バランスも崩れやすい。

19世紀のフランスにおいて良質のペルナンブーコ材を用いて、優れた弓が多く製作された。フランソワ・トゥルテ(トルテ、タートとも)、ペカット、キッテル、パジョなどの名匠がいた。現在ではそれらはオールドフレンチボウとして扱われ、その世界的評価額は高額(百万円?数千万円)である。

作者名はスティックに焼き印として記される場合が多いが、当時のディーラー名を記したり、イミテーションやコピーとして著名作者名を記したりする場合も少なくない。またトゥルテなど全く作者名を記入しなかった人もいる。この作者焼き印(スタンプ)は、フランス式とドイツ式で異なり、フロッグを上にした時に読める向き(弓のスクリューから先端方向)がフランス式、フロッグを下にしたときに読める向き(弓の先端からスクリュー方向)がドイツ式である。ただし、著名作者の作品をコピーした弓などは、ドイツ製でもフランス式の焼き印がなされる事があり、安物の真贋判断は専門家でも難しい。

フロッグには黒檀が、金具には銀が一般的に使用されるが、黒檀の代わりに鼈甲や象牙、銀の代わりに金が使われることもある。装飾として美しい螺鈿細工が施される。これらは現代スタイルの弓を確立したトゥルテが元々宝石・時計職人であり、その金属加工技術などを弓作りに応用したことから始まる。ラッピングにはナガスクジラのヒゲがよく用いられてきたが、現在では銀線や銀糸が多い。

分数楽器 [編集]
通常の大きさ(4/4,フルサイズ)の他に、子供向けにサイズを小さくしたヴァイオリンも作られている。1/16,1/10,1/8,1/4,1/2,3/4,7/8と呼ばれるサイズなどがあり、これらを分数楽器という。

分数楽器の数字は通常、大人用(4/4サイズ)に対する胴部の容積の比率を表していると説明される。しかし、実際には胴体の長さと比例て現在作られているのヴァイオリンの殆どが次の法則にしたがっている。フルサイズ=14インチ、3/4=13インチ,1/2=12インチといった具合である。しかし、1/10以下の楽器はメーカーによってもスペックが違い、あるメーカーの1/10が他のメーカーの1/16と同じこともある。

メーカーや工房によっては一般的でないサイズや伝統的なヴァイオリンの形から外れた楽器を特注で製作するところもあるが、非常に稀である

テリーヌ レーション パドック コラール ランド ブリス しし唐 レッド ダラス バスタ クロノグ ティング ドライ フルカップ ゴッド ハイド カナン シダレ りつりん ひぼう チカフ ナーバス なかふら ヨゴリーノ 高菜 ドアボーイ フレナ ユズリハ 潮の香り ブラック やしゃ オリンピピ ヤラピン イスア スラム ミラージュ ビート ワイポ クローニ オゾンホ プラン シトラス やなだに テラピア セレクト バック カイドウ バルブトゥ シティ あきう

2009年03月22日

バキュームフォームキット

熱したプラスチック(熱可塑性樹脂)板を型に当て、下方から吸引(個人製作ではよく電気掃除機が利用される)して型に密着させて成形する手法「バキュームフォーム(真空成型)」で製作されるキット。プラモデルの項、製法による分類参照。細部のディティールの再現を要求されるような精密な製品には適さない。飛行機やラジコンカーのボディに多用される。
メタルキット
ホワイトメタルと呼ばれる、錫や鉛、アンチモン、ビスマスを主体とした低融点の合金を耐熱性シリコーン型などに流し込んで作られるキット。金属を素材としているので接着と塗装が難しい。熱により型が消耗するため大量生産には向かない。1/43スケールのミニカーに多用される。レジンとは違い鋳込みに失敗した材料を再利用できる。硬化時間が短い。
いわゆる「鉛の兵隊」とはホワイトメタル製の兵隊人形のことである。
レジンキャストキット
無発泡ウレタン樹脂をシリコーン型に流し込んで生産するキット。現在ガレージキットと言えばほとんどがこの種類を指す。
尚、プラキャストという商品名の注型用材料がある。また、キャストcastとは本来流し込み成型を指す。化学反応により重合による硬化時間がかかるので大量生産が困難。
ソフトビニールキット
軟質樹脂(ソフトビニール=ポリ塩化ビニル)モノマーを金型に流し込んで加熱することにより重合して得られる中空の部品で構成される。ソフトビニールはかつては玩具に非常に多く使用されていた。金型であるため大量生産にも向くが、成型には専門の技術者が必要。中空で成型されるので大型の商品に向く。
素材の特質から通常の模型用塗料の定着が悪く、年月の経過と共に素材から揮発する溶剤分で塗膜が溶出する。高い温度の環境に置くと変形する、直射日光の紫外線で変質する等、経時変化が大きい。塩化ビニルの変質による健康への影響も懸念される。
簡易インジェクションキット
近年の3D-CAD,CAMの低価格化によりアマチュアディーラーの中でも少数ではあるがインジェクションキットを供給する者もいる。インジェクションキットならではの細部のエッジの利いたキットを供給する。

ガレージキットの特徴 [編集]
ガレージキットは、少量生産向きの工作、複製方法で生産される。薄い金属板のエッチング加工・シリコンゴム製の型での複製・NC加工・一般の機械工作など。

キットの組み立てにはある程度の(時として高次元の)模型製作技術を必要とする。

複製・販売される「キット」に対し、その元となった図面や立体物を「原型」、図面や原型を製作した人を「原型製作者」「原型師」「マスターモデラー」などと呼びキットに明示されることが多い。

バキュームフォームによる生産 [編集]
バキュームフォーム(吸引成型)はプラスチック板の熱加工法の代表的なものの一つである。バキュームフォーマーと呼ばれる底面に空気抜きの穴を設けた台座の上に原型を置き吸引、熱したプラスチック板を大気圧で原型に押し付けて加工する。原型は底面に向けて面積が大きくなるように分割される。雄型が一般的だが形状によって雌型を用いることもある。製品はモナカのように中空の貼りあわせになるので軽くなり比較的大型のキットが製造できる。吸引は家庭用の掃除機でも可能であり、家庭用の小型バキュームフォーマーが市販されている。熱したプラスチック板を押し付けるので原型は木で作られることが多い。生産に手間がかかり細密な再現は難しいが、原型の破損は少なくある程度の量産が可能。

キャスティング(注型)による生産 [編集]
キャスティングは、原型から注型用の雌型を作成して樹脂や金属を流し込んで複製する。一般的なレジンキャストによる生産では、金属・プラスチック・粘土・パテなど各種素材で製作した原型をシリコーンゴムで型取りし、主には無発泡ウレタンや不飽和ポリエステルなどの二液混合型樹脂を注型し硬化させることで複製を得る。金型と違ってシリコーンゴム型には柔軟性があるため、一組の型で型抜き方向以外への凹凸をもつ複雑な形状をも複製することが可能である。メタルキャストでは高温用のシリコーンゴムを使い低融点の金属を溶かして同様に注型する。シリコーンゴムは常温で硬化し、珪素を含むもの(ガラスなど)以外にはほとんど接着しないため原型素材の制約が少ない。ただし原型の表面形状によって型から剥がれなくなることがある。
逃走の大地 ロゴス クキン タラン ハンマー ベニア 琥珀の月 ガブリエル アフタン フリーダム アイド いせい レインボー カスタ シャックル 天応最適 スポー マンバ てんびん ミュンヘン ガラニン ドリン ブルドー 春玉 バンニン 青い ドレス ブラン ビデオ メンタリ サーペント ビットト ドルフィン ピクトブ ルドベ サーコー 市松模様 ミントン マルタ リタイ バッテ ブラシ トルコ石 ネート オフチュ シンド ウース ミツマタ ラッシュ ちずい魚

射出成型に較べて初期費用は各段に少ないが、シリコーンゴム製の型は注型する樹脂によって少しずつ侵されるため消耗が早く、一つの型から得られる忠実な複製は数個?数十個程である。原型が破損しない限り新たに型を作る事が出来る為量産は可能だが、一個あたりの生産費は高めである。注型用樹脂は硬化に伴って発泡するものが多く、また複雑な型に樹脂が十分に行き渡るようにするのが難しく相応の技術を必要とするため、真空脱泡機などを使わないと成型品に欠損が生じたりして歩留まりが悪くなってしまう。またシリコーンゴムの使用量が生産費と直結するため、細かく分割し部品点数を増やすと値段が倍増する。また柔らかいシリコーンゴムは歪みやすく、精度を保つためにもノウハウがある。

以前は業務用以外のレジンキャスト、シリコーンゴムの入手は困難であったが、現在はガレージキット販売店を中心に入手も容易になっており、またガレージキット用キャスティング作業専門の業者も数多く存在する。

ソフトビニール生産 [編集]
ソフトビニール製の人形などは、まずロウ型と呼ばれるロウ製の雄型を製作する。ソフトビニールは熱で柔らかいうちに脱型するから、型は分割しない。このため原型を溶出して取り出す必要があり、ロウを用いる。

型に原料を流し込んで充分に型にまわして加熱し、薄皮ができたあたりで引き剥がすように製品を取り出す。ある程度逆勾配でも成型できる。とはいえあまりに小さな穴から大きな製品は抜けない。ロウ型は失われるが電気メッキを利用する雌型成型面はあまり消耗しないので大量生産に向いている。脱型の際に一度変形することもあり幾何学形状などを正確にコピーするには工夫がいる。

エッチングによる生産 [編集]
エッチングは、金属板を腐食性の液体で融かし、板厚を薄くしたり穴をあけたりする金属加工である。材料は、真鍮・洋銀(洋白)・燐青銅などが用いられる。

腐食させたくない部分に塗料を塗るなどの方法もあるが、ある程度の量産をする場合や精度の要求によって、写真技術を応用する(感光剤でマスキングする)。金属板上に精緻な模様をつけたり、薄い金属板の場合には細かな抜き加工をすることも可能である。

これにより生産される製品は薄板状の部品であることが多い。厚みのあるもの、面積(体積)の大きいものには向かない。生産費も高く、設備、技術にも専門性を求められるために精密さを要求されるスケールモデルの細部部品などに利用され、エッチングのみで一つの完成品となるキットはほとんど存在しない。製版フィルムが残っていれば製版は何度も繰り返すことができる。

2009年03月07日

セント・ロー (護衛空母)

セント・ロー (USS St. Lo, AVG/ACV/CVE-63) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の9番艦。

艦歴
チャピン・ベイ (USS Chapin Bay) は1943年1月23日にワシントン州バンクーバーのカイザー造船所で起工する。1943年4月3日にミッドウェイ (USS Midway) と改名され、1943年8月17日にハワード・ニクソン・コールター夫人によって進水、1943年10月23日にF・J・マッケナ艦長の指揮下就役する。

ミッドウェイは西海岸での整調後、真珠湾およびオーストラリアへ第65混成飛行団(VC-65)を乗艦させ補充の戦闘機輸送任務に赴く。6月1日にジェラルド・F・ボーガン少将率いる空母支援グループに加わりマリアナ諸島進攻に参加する。6月15日にはサイパンへの攻撃部隊に加わり航空支援を行う。ミッドウェイは数度の敵襲に遭遇したが、サイパンでの作戦活動中の損害はなかった。VC-65 の FM-2 ワイルドキャットは航空偵察任務の間に4機の日本軍機を撃墜、1機を破壊した。

7月13日にエニウェトク環礁へ補給のため向かい、23日にティニアン島への攻撃に参加する。ミッドウェイは地上部隊のための航空支援と対潜水艦偵察巡航を継続し、7月28日に補給のため同水域を離脱した。

ミッドウェイはエニウェトク環礁に8月9日まで停泊し、その後アドミラルティ諸島のマヌス島、ゼーアドラー湾に向かい8月13日に到着する。

9月10日にミッドウェイはモロタイ島侵攻のための第77任務部隊に配属される。上陸部隊支援を9月15日に開始し、輸送部隊の援護を22日まで継続した。燃料、弾薬補給後モロタイ島沖で任務を再開する。10月2日に日本軍潜水艦呂-41がミッドウェイに二発の魚雷を発射する。マッケナ艦長はこれを回避するが、一発の魚雷がシェルトン (USS Shelton, DE-407) の船尾に命中し、シェルトンは曳航されるものの途中沈没した。ミッドウェイはゼーアドラー湾に10月7日帰還し、10月10日にミッドウェイはセント・ローと改名される。新たな艦名は1944年7月18日にアメリカ軍によって占領されたフランスのサン=ローを記念して命名され、ミッドウェイの艦名は新型巨大空母に流用された。

セント・ローはゼーアドラー湾を10月12日に出航し、レイテ島侵攻作戦に参加する。上陸部隊の上空支援および支援空爆を命じられ、セント・ローはレイテ島に10月18日到着する。レイテ島北東部のタクロバンに対して地上支援の爆撃を行う。セント・ローはクリフトン・スプレイグ少将率いる「タフィー3 Taffy 3」(第77.4.3任務群)と共に作戦活動を行う。同部隊は6隻の護衛空母と、その護衛の駆逐艦3隻、護衛駆逐艦4隻から成った。セント・ローはレイテ島東海岸およびサマール島沖で活動し、艦載機部隊は10月18日から24日にかけて編成替えされ、レイテ島とサマール島の日本軍施設に対して攻撃を行った。

10月25日の夜明け前にサマール島東60マイルの水域に向けてセント・ローは出航する。4機の対潜哨戒機を発艦させ、一方タフィー3の残りの空母は同日に行われる上陸に先立っての地上攻撃準備を行った。サマール沖海戦は06:47に開始し、セント・ローから発艦した対潜哨戒機のパイロットであるビル・ブルックス少尉は4隻の戦艦、6隻の巡洋艦、10から12隻の駆逐艦から成る日本艦隊が17マイル西北から接近中であることを報告した。同時にセント・ローの哨戒班は水平線上に日本戦艦独特の上部構造物を発見した。スプレイグ少将はタフィー3に全速力で南へ回頭を命じた。栗田健男中将率いる日本艦隊は06:58に砲撃を開始し、それはタフィー3を火力、数共に圧倒した。

特攻機が突入したセント・ローセント・ローと僚艦の5隻の護衛空母は砲撃を回避し、搭載する戦闘機及び雷撃機全ての発艦を開始した。空母部隊は敵戦艦、巡洋艦からの砲撃に追われながらも、パイロットに対し日本艦隊への攻撃とレイテ島のタクロバン臨時飛行場へ弾薬、燃料再補給のため着陸するよう命じた。敵の砲撃はセント・ローの付近に着弾し、混乱は迅速に広がった。

07:38の時点で日本軍の巡洋艦はセント・ローの14,000ヤードまで接近した。セント・ローは敵の砲撃に対し単装5インチ砲で応戦し、利根型重巡洋艦に三発の命中弾を与えた。続く1時間半、栗田中将の艦隊はタフィー3に接近し、10,000ヤードの距離からセント・ローへ砲撃を加えた。多くの砲弾が付近に着弾、頭上を通過した。砲撃戦の間、空母とその護衛は日本軍の砲撃精度を落とすため煙幕を使用した。さらに駆逐艦、護衛駆逐艦による勇敢な攻撃も日本軍の攻撃を効果的に妨げた。この戦闘の間、栗田艦隊はタフィー3および南方に位置したもう2隻の空母艦載機による航空攻撃の下にあった。
パノラ 暮し情報 ブーケ アカシア シーケン ブッサフマ ミストダ ユーロ ミリタ チャーミ 陽陽次 シャルテマ しゃる 淡き宵 プレス ウーハイ コラー オパールグ マイト モルフォ チュー エージ ソロ ブルカ ムスタ サイボー パクト けいらい トランス おおわひん シーラ ネクタ グアニリ モスキ アングル コロンボラ ボイルド しめじ アカンバ ダイナマイ テレメ 検索メンス テラス ドクダミ ルランナー モーリシャ プレスリ セルン ブレー さんじゅ

アメリカ軍の航空攻撃および駆逐艦、護衛駆逐艦からの攻撃が増し、日本軍巡洋艦は戦闘を停止し09:20に北方へ回頭した。09:15に日本軍駆逐艦は10,500ヤードの距離からジョンストン (USS Johnston, DD-557) に向けて水雷攻撃を開始した。魚雷は護衛駆逐艦まで達し、ジョンストンは被雷した。セント・ローの艦載機アヴェンジャーのパイロット、ワルドロップ少尉は機銃掃射で二発の魚雷を爆破した。

一連の戦闘でタフィー3はガンビア・ベイ (USS Gambier Bay, CVE-73) 、ジョンストン (USS Johnston, DD-557) 、ホーエル (USS Hoel, DD-533) 、サミュエル・B・ロバーツ (USS Samuel B. Roberts, DE-413) を失った。

10:47に任務部隊は第1神風特別攻撃隊「敷島隊」の攻撃を受ける。40分にも及ぶ日本軍の特攻機による攻撃でファンショー・ベイ (USS Fanshaw Bay, CVE-70) を除く全ての護衛空母が損傷を受けた。10:51に関行男海軍大尉機(通説による。実際には同艦に突入したのは編隊の4番機であり、隊長として先頭にいたはずの関ではあり得ない、と言われている。関が突入したのは10:49、同型艦のカリニン・ベイであるという)がセント・ローの飛行甲板に突入する。同機が搭載していた爆弾はフライトデッキに入り込んで爆発し、右舷格納庫甲板に火災を生じさせた。格納庫には燃料と弾薬を補給した航空機が搭載され、火災はガソリンに引火、続いて6度の爆発が生じる。その爆発は搭載魚雷及び爆弾が誘爆したものも含まれた。セント・ローは炎に包まれ、30分後に沈没した。

889人の乗組員の内113名が死亡または行方不明となり、30名が負傷が元で後に死亡した。生存者はヒーアマン (USS Heermann, DD-532) 、ジョン・C・バトラー (USS John C. Butler, DE-339) 、レイモンド (USS Raymond, DE-341) 、デニス (USS Dennis, DE-405) によって救助された。デニスは434名を救出し周囲を驚かせた。

2009年02月18日

アダルトゲームと表現の規制

日本国内でアダルトゲームと呼ばれる、成人向けに性的描写を含むゲームソフトなどのコンピュータ・ソフトウェア(コンピューターゲームの一種)の製造と流通・販売に関する、様々な団体・個人が発した、あるいはマスメディア上で報じられた意見・事象を収集してある。また、表現の自主規制についても解説している。
タジーン ドジョブ セキュア きり ポストマン ニアミス フェデ ラテックス ホトトギス フェー タイダイ ふうせん ベリル そばみち メントール カネロニ キャンドル ファンク ブッシェル チェチ シュロチ チンネ じゃぼ ジベレリン タイシ ふらの タンキニ レユニ クロスボ 鉄人 リッポン ティナド いささ トリップ とうみょ ロレック ストップ プラン テンス プロテオ ノクターン ハコネ ハートフル タヒチ まるも ダウン ウェブ ザンサス びゃっこ マフィン

なおこれらの意見には、一部に感情論的な側面が含まれ、他方では明確な論拠を持たない、ないし意図的に誤解を誘うようにされているものすら見られる。これらには、過去の犯罪行為に対して忌避感を抱く側の拒絶反応または嫌悪感や、あるいは制作者の利害関係、ないし愛好者の規制に対する危機感が、密接に関連していると言えよう。

またマイナーカルチャーないしサブカルチャーの常として、これを包括的に研究する社会学や心理学、あるいは犯罪学の研究者も稀であり、この議論に明確な正解を提示できる者は、現在の所として見られない。このため、規制の賛成派と反対派の議論は、ほぼ双方の平行線に終わっており、現状に於いて決着がつかないのが実情である。加えて双方の話し合いの場すら、一部のインターネット上のコミュニティを除けば、皆無といえるような状況である。

他方では、社会的圧力から販売禁止による損害を恐れるゲーム制作企業(メーカー)が、様々な迂回策や自主規制を行う傾向も見られる。このメーカーサイドの事情や状況は、アダルトゲームないし残酷ゲームなどを含む、広義での成人向けゲームの項も参照されたし。

歴史
2005年現在において、日本では同年2月には45本発売されるなど(PC Angel2005年5月号による)多数のアダルトゲームが発売されている。『ナイトライフ』(光栄マイコンシステム 1982年)が始祖とされるこれらのゲームには、業界共通の性的描写に関するガイドラインは存在せず、性的描写は各企業の裁量に任されていた。

なお、ナイトライフ自体はどちらかと言うと「夫婦生活をサポートする」ためのユーティリティ的なソフトウェアであり、直接的な性的興奮を目的としたコンピュータゲームではなかった。しかし同作品のヒット以降、着実に性的興奮を目的としたコンピュータゲームが、当時表現力が次第に向上した8ビットパソコン向けに盛んに販売されるようになった。
この辺りの市場動向はアダルトゲームの項を参照されたし。
これら成人指定の性的描写を含むコンピュータゲームの多くは、個人でもソフトウェア開発環境を揃え易いパーソナルコンピュータ向けの作品となっており、当初の市場はマニア・おたく向けの微々としたものであった。このため一般からは特殊な再生媒体によるポルノ作品としてのみ扱われ、1980年代末までのこれらゲームに対する一般の販売店での扱いは極めて無頓着なもので、販売店によっては商品であるこれらソフトウェアのパッケージは「店の入り口からでも見えるような位置」に堂々と陳列されていたり、中高生ですらこれを購入する事になんら制限は見られなかったほどである。社会一般での認知度も「ほぼ無視ないし無名」といった状態であった。

しかし以下に述べる事件の発生が教育関係者や保護者に問題提起のきっかけとなり、その後の関連事象では、特殊な市場(→ニッチ市場)によって形成されていったマニアックな内容も手伝い、様々な所で拒絶や嫌悪感を被っている傾向すら見られる。

規制に絡む事象・事例
1991年、中学生が成人向けゲームを万引きしたことにより、成人向けゲームへの非難が高まり、製作会社の社長が京都府警に逮捕される事件が起きた。のちに沙織事件と呼ばれるものである。国会にも取り上げられたこともあり、業界全体に事態を重大に捉える動きが生まれた。
1992年には、業界団体の社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)が18禁シ-ルを作成し、希望する企業への販売を開始した。一方、『電脳学園』(ガイナックス 1989年)が宮崎県における青少年の健全な育成に関する条例に基づき有害図書指定される。
沙織事件や宮崎県での有害指定をうけ、自主規制団体の必要性が叫ばれるようになり、1992年10月に自主規制団体のコンピュータソフトウェア倫理機構が設立された。

1996年には『子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議』がストックホルムで開催された。この会議で日本人によるアジアでの児童買春と、日本国内で大量につくられる児童ポルノに対して非難が起きる。これに対して日本は法整備、取り締まりの強化を表明した。
これらでは当時の日本に於いておたく向けの商業作品群に、所謂「アニメ風の女の子(→萌え絵)」を使っての性的興奮を煽る事を目的とした物が多く見られ、市場もそれら作品の傾向に寛容であった事も、同規制による議論の対象に挙げられている。特にアダルトゲームと呼ばれるコンピュータゲームでは、かなりの比率をこの「アニメ風女の子」を使った作品が占めている。
1999年は超党派の国会議員によって『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律案』が提出され、成立した。法案段階では『児童ポルノ』の範疇に「絵」が含まれていたことから、業界筋やユーザー筋でも大きな論争になっている。成立した段階では『絵』は対象外になったが、3年後に見直しを行うことを明記した。
2005年4月には、野田聖子の呼びかけにより、『少女アダルトアニメ及び同シミュレーションゲームの製造・販売に関する勉強会』が行われたが、この勉強会自体は大きな話題になることはなかった。
2006年4月10日に日本テレビはNNN NewsリアルタイムおよびNNNきょうの出来事において、「アニメやインターネットに溢れる性や暴力に関する情報が、子供を標的にした事件に結びついている可能性がある」として警察庁が新たな規制に動き出した事を報道した。この報道内容について、視聴者から「偏った報道である」等の反論が寄せられた(詳細は「規制を前提にした報道とそれへの反論」の節にて後述)。
2008年に入り、国会では児童ポルノの規制強化を目的として、性表現色の濃い漫画・アニメ・ゲームといったフィクション作品の単純所持をも規制対象に含める改正案を検討し始めた(詳細は「漫画・アニメ・ゲームの単純所持規制改正案」の節にて後述)。

規制を前提にした報道とそれへの反論
報道内容
2006年4月10日に行われた警察庁の「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」第1回会合と同日に、日本テレビ「NNN Newsリアルタイム」の全国向け放送枠で行われた報道は、「女性記者が見た"アキバ" "性と暴力"表現を規制検討」と題され、成人向けアニメやアダルトゲームの愛好者があたかも性犯罪者になりやすいかの様な表現が用いられた。番組中で流された取材VTRでは、日本テレビ社会部の女性記者に男性向けアダルトゲームを体験させるという報道手法が用いられた。また、ナレーションで「多くのアダルトゲームは中学生や高校生の少女に性的な乱暴を加える内容である」という主旨の説明が加えられた。

また、女性記者は「小学生くらいの子が主人公になっている。気持ちが悪くなる感じがする。」という主旨のコメントをした。ナレーターはゲームを体験する女性記者について、「みるみる歪む女性記者の表情」と説明した。

更に女性記者は、AMI (非政府組織)の構成員が作成した成人向け同人誌を取り上げ、「小学生の女児が成人男性にいたずらされる内容」という主旨の説明をした。

日本テレビは、現行の児童ポルノ禁止法では、現実の少女が被害に遭っていないアニメ・ゲームなどが対象外になっている事を、「野放し状態だ」と説明した。更に取材VTRでは、「アダルトゲーム愛好歴10年」と称する男性への匿名インタビューを行い、男性は「自分はゲームと現実を区別できるが、事件を起こす人は出来ていないのではないかと…」という主旨のコメントをした。取材VTRはそれに続けて北海道・東京連続少女監禁事件や奈良小1女児殺害事件、高崎小1女児殺害事件を実例として挙げ、「こうしたアニメなどの影響」と断言した。

更に日本テレビは、「その為に警察庁が子供を性の対象にしたアニメなどの法的規制を検討している」と報道した。これは「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」の事を指している。そして、日本テレビは「どのような形で規制するべきなのか幅広い議論が求められている」と、VTRを締めくくった。同内容の取材VTRが「NNNきょうの出来事」でも放送された。

Newsリアルタイムでは、VTRに出演した女性記者が「殆どのユーザーは、現実とゲームの区別が付いているが、一部の者は、『理解のある女性が現れたらこの様な性的遊戯を試してみたい』と考えており、こういうソフトが犯罪の助長に繋がっている」という主旨のコメントをスタジオで行い、司会者が「紙一重なんでしょうね」と答えた。また、ゲストで後に同年10月からのNNNきょうの出来事の後継番組NEWS ZEROの司会者となる村尾信尚は、「私はこうした規制は強化するべきだと思います。社会や国が『ダメだ』というメッセージを出すべき。反論はあるかもしれないが真剣に議論するべき。」という主旨のコメントを行った。

報道への反論
こうした日本テレビの報道について、放送の翌日と4月13日付けで、放送倫理・番組向上機構(BPO)の「番組委員会」及び「放送と青少年に関する委員会」に視聴者からの抗議が寄せられた[1][2]。

BPOは抗議の内容を下記の様に要約した。

番組委員会まとめ(意見を抜粋した上で概要として要約しているので、意見を寄せた者の年齢・性別・人数は公表されていない)

近年の児童への犯罪の原因がアダルトゲームであるかのような誘発的な報道である。軽々しい断定に疑問を感じた。(特記事項として要約)
放送と青少年に関する委員会まとめ(「同様意見」として括られた意見が文面通りなのか、意見を寄せた者の年齢や性別も同様なのかは公表されていない)

「美少女ゲームの愛好者は犯罪者になりやすい」というのは、記者やコメンテータの私的意見に過ぎない。あたかもオタクとは犯罪者の事であるかの様に根拠無く決め付けている。日本テレビは以前にも「フィギュアを集めている人は犯罪者になりやすい」という報道を行って抗議を受けたのに反省していない。(17歳男性より)(同様意見11件)
オタクは全て犯罪者だと決め付けている。女性記者に男性向けアダルトゲームを体験させる様な報道手法は、女性記者に対するひどいセクハラ行為ではないのか? 未成年には販売されない成人向けソフトについて、未成年が多く視聴している時間帯のニュースで放送するのは問題である。(28歳女性より)(同様意見2件)
資料や統計も出さず、「始めに結論ありき」といった内容である。この様なメディアが存在しなかった昭和30年代が性犯罪のピークであった事に触れていない。平等性を欠いており、表現の自由等の基本的人権を奪う危険がある。マスメディアによるレッテル貼りや差別に繋がる恐れがある。(18歳男性より)(同様意見4件)
また抗議の中の、

日本テレビは以前にも「フィギュアを集めている人は犯罪者になりやすい」という報道を行って抗議を受けたのに反省していない。
という指摘は、2004年に発生した高崎小1女児殺害事件に関連して、日本テレビの報道番組「真相報道 バンキシャ!」が、同事件や類似する性犯罪とフィギュアを結び付ける論評を行ったことを指している(→フィギュア萌え族)。

同事件については、公判の報道も含め、他のメディアの報道も総合して言える事は、犯人が何らかの人形を収集していた事である。人形の種類に関する言及や記述はメディアによって異なっている。しかし同事件発生直後の「真相報道 バンキシャ!」は、「スーパードルフィー」という人形をメーカーに断り無く取り上げて事件と関連付けた。この取材VTRにおいて、番組スタッフは買い付けてきた新品の人形への衣装の着せ付けや関節の動作を実演した。番組はその映像にあたかも製品と事件には関連があるかのようなナレーションを付けて放送した。このため人形のメーカーや愛好者から「製品に対して誤解を招く」などの抗議を受け、番組側は翌週の放送で訂正を行った。

上記の指摘は、日本テレビがその時の反省を全く活かしていないという主旨のものである。

漫画・アニメ・ゲームの単純所持規制改正案
2008年に入り、国会では児童ポルノの規制強化を目的として、性表現色の濃い漫画・アニメ・ゲームといったフィクション作品の単純所持をも規制対象に含める改正案を検討し始めた。しかし、以下に記すような矛盾・齟齬などが生じることから反対意見が大多数を占め、今後の議論が注目されるところである。

性意識に歯止めが利かなくなり、実際の性犯罪に発展する危険性が極めて高いとする意見。(ただしこの主張は、客観的データによる裏付けは薄い。未成年女性を対象にした性犯罪の立件件数は、近年に限れば社会全体が混乱していた戦後直後が最も多く、時代が下るにつれて減少している)
14歳で母親となる少女を扱ったドラマ『14才の母』や、兄妹間の恋愛から近親相姦を彷彿とさせるなどあたかも近親相姦を美化した内容と評価されかねないドラマ『僕は妹に恋をする』など、実在の人間を使って作られた三次元創作物は許容されている一方で、絵を用いて作られる二次元創作物のみが規制されるというのはおかしいのではないか、とする意見。
そもそも、これら創作物の表現形式を規制するのは、憲法第21条(表現の自由)および憲法第19条(思想・良心の自由)に反するという意見。(ただしわいせつ物頒布罪に抵触するものは、刑法175条を典拠として摘発されることがあるが、モザイク処理のしてあるものは法律上のわいせつ物には含まれない)
合法である時代に合法手段で購入した物品まで規制対象に含めるならば、法律が施行されると同時に莫大な数の人間が立件対象になる(ゆえに法律の施行は事実上不可能である)、とする意見。
同じく、現時点で存在している物品まで規制対象にするのであれば、国側は強引な法案を施行するのであるから当該作品を責任を持って買い取るなど、一定の『処分手当』を払うべきだとする意見。
いざ立件し、逮捕・起訴・裁判となった際でも、作品の作り手側が『登場人物の年齢はすべて20歳・または21歳以上である』などと主張した場合、検察側はそれを何らかの形で立証しなければならない。しかし二次元創作物 = 実在し得ない人物であることから、当事者である登場人物を出廷させるのは事実上不可能なことであり、よって証拠としての立証をするのはとうてい無理な話である。それでも、判事が証拠として認めた場合は、作中に登場するあらゆる設定を法的に認めることになり、社会性といった点で矛盾した裁判に為らざるを得ないとする意見。
(ウイルスなどを用いて)インターネットなどを経由させ、社会的に抹殺したい相手に規制対象となる動画・画像・写真などを一方的に送りつけた上で、しかる後に警察に匿名で通報すれば、送られた側は気が付かないうちにそれらの作品を所持していたことにされ、犯罪者に仕立てあげられた挙句に逮捕されてしまうのではないか、とする意見。
成人漫画家・アニメーター・ゲームクリエーターといった『人物絵を描くことを生業とする人たち』の絵画的表現を束縛し、最終的には彼らを失業させることに繋がるとする意見。
など。

これに対し、国会では「被疑者となる人物・被害者となる人物が共に存在しない」という意見が強かったことから、規制改正案は見送られた。

事件とバッシング
業界の発達に伴い歩みは遅いものの、規制は強化され続けている。一方、児童が犠牲者となる事件が報道されると、大谷昭宏のフィギュア萌え族(仮)発言のように、事件の遠因にゲームなどの、特殊な市場性を持つ商品群の存在があり、それら商品の販売はより厳しく規制すべきだとする主張がある。

過去には、「おたく」と目された男性の起こした事件により、同男性が愛好していたアニメ作品や、外見的特長の類似するおたく青少年へのバッシングに発展したケースもある。

近年では、事件を起こした犯人ないし容疑者個人の性格異常よりも、そのステレオタイプに合致するおたく層全体の共通した異常性としたがる傾向がマスメディアにも普遍的に見られる。この辺りは普遍的おたく層が、しばしば一般的価値観に興味を示さず、常識的でない行動を見せる事にも関連するが、この非常識さをもって一部では「反社会的な事も、平気でしてしまうのではないか?」とする類推を招く結果となっている。

この萌え市場などに関連する社会問題や社会的バッシングの背景に関しては、おたくの項も参照されたし。
また他にも、直接的にコンピュータゲーム全体をバッシングするゲーム脳等の説も近年では発表されており、ゲームに傾倒して勉強が疎かになりはしないかと心配する就学児童の保護者を中心に支持者を増やすといった現象も見られ、副次的に同種ゲームの存在や内容も、愛好者以外の人が知る所となってきている。

特に比較的新しいメディアでもあるコンピュータゲームは、その市場性の拡大や表現力強化にも伴って、より多くの議論を招いており、また萌え市場が経済界にも巨大市場と認識されるに従って、必然的にこの性的描写を含むゲーム類にもメディアや世間一般の注目が集まっており、殊更ポルノ作品やそれらの商品を扱う地域の性風俗産業を問題視する向きにも、同ゲームの存在が認識されるに至っている。

規制強化を求める考え
規制強化を求める側の主張として、これらのゲームが流通することで児童誘拐事件などの凶悪犯罪が発生する可能性がある為、被害防止のために規制するべきという考え方がある。

また、内容的に犯罪行為(→強姦)を扱うゲームがしばしば発表されている部分にも絡み、これらゲームの消費者の嗜好や、製作側の諸事情で用いられている所謂「アニメ風の女の子」の絵(→萌え絵)が、可愛らしさや女の子らしさを強調しようとした結果、その映像面で幼児・児童として認識され得る辺りにも関連して、同種作品への拒否感を強め、規制案への支持に及んでいる傾向が見られる。

誘発性
NPO法人ジュベネイル・ガイドは「美少女アダルトアニメ雑誌及び美少女アダルトアニメシュミレーションゲームの製造・販売を規制する法律の制定請求」のなかで、「そしてこのようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずの中に心を破壊され、人間性を失っています。このような商品の販売は青少年にとっても極めて危険です。既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が現実に起きてしまっています。」と述べゲームと誘拐事件に関連があるとしている。

また、児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の制定にも力を尽くしたNGO・ECPAT/ストップ子ども買春の会の共同代表者はアダルトゲーム情報誌「P-mate」(毎日コミュニケーションズ/当時)2003年1月号において「子供を性的虐待の対象として表現した児童ポルノは子供をそういう対象として使用していいんだという意識を一般化したり助長することにもなりますので、そうした表現は実在の子供を対象としたものに限定することなく禁止すべきだと考えています」と述べている。

この論調に関しては、環境犯罪誘因説の項も参照されたし。

仮想的な人権論
これらの主張の他にも、架空のキャラクターにも人権が存在する為、陵辱されるようなゲームは許されないとする意見もある。元NPO法人[1]カスパルの代表者は朝日新聞のインタビュー(2005年1月10日)で「絵で描かれていても、少女たちの人権を侵していることには違いありません。」と述べている。

この辺りは、ゲームによって提供される仮想内の出来事ながら、半ば作品提供側の意図したストーリーで犯罪行為を追体験するような物への風当たりが強く、また人間社会では各々の個人が持つ人権が同等の物であるように、ゲーム内に構築された仮想世界では、ユーザーの操作する主人公と、陵辱される側のキャラクターは本質的に同等の「仮想的人権」を有しているであろう…という視点も成立する。

規制強化を求める考えに対する反論
規制強化を求める考え方に反論する意見として、メーカー側からは主に、憲法で保障される所の表現の自由に依る物がおおく、犯罪的内容であっても、実質的に仮想のストーリーを提供するゲームというメディアにおける表現の一つであり、ピカレスク文学が、文学・文化として認識されるように、犯罪を扱ったゲームも、所詮はゲームに過ぎないのだという反論が見られる。特に純愛ものの規制については、相対的わいせつ概念を援用した反論が強い。

ユーザーサイドからの反発
また、これらゲーム作品には各々、熱狂的なファンや愛好者も見られ、これらユーザーからも多くの反論が寄せられている。これらは主にインターネットのウェブサイトや電子掲示板によってしばしば見られる論調であるが、その多くが過去の規制論者側の発言への反証や反論など…となっている。

主な所を挙げると、以下のとおりである。

被疑者・犯罪者の所有物にゲームが含まれているからを理由にすることもあるが、犯罪に影響しているなど証明すること自体できない。また、自白などで影響されたと発言しても、所詮は頭で考えて発言しているものであり、罪を軽減するために発言している可能性もある。
新規メディア(漫画やテレビ、小説も初めのころは有害視されていた)に対する攻撃ではないのか?
嫌悪感や宗教・道徳、性的モラルなど規制強化論者の個人的信条に基づいて規制を主張している可能性があり、他者の個人的信条を侵害する恐れを考慮していない。
強力効果論は学界内で科学的に否定されており、また犯罪誘発や子供の心を破壊しているとする理論には、学術的・科学的根拠そもそもがまったく存在していないにも関わらず、ゲームを規制をするのか?
絵画、図画によるポルノが実在の児童に対する性的虐待を誘発する、因果関係があるのか証明することができない。
昨今の性犯罪の増加は、その他の犯罪同様日本社会全体の治安悪化の一部に過ぎず、性犯罪のみにおいて創作物を原因とするのは責任転嫁であり、根本的な解決とはなりえない。
子供の心を破壊しているというが、実際にそのような児童・生徒は存在しているのか?
ゲームはフィクションであり架空のものであるにもかかわらず、"架空の"キャラクターに人権そもそもが存在するのか。もし存在するとするなら、漫画や芸術画などの絵にまで人権があることになってしまうのではないのか?
規制の基準があいまいで恣意的に規制範囲が拡大する恐れがある。(→言論統制、別件逮捕)
そもそも創作物の規制は日本国憲法第21条(表現の自由)に反する。
これらは、主に一般個人の立場で表明された物であるが、その多くが匿名である事も関係して、あまり注目されない傾向があるとされている。しかし、1999年の児童ポルノ法成立時、及び2002年の改正時に、主だった政党や国会議員に対する質問、意見、さらにはインターネットやコミックマーケット等の同人誌即売会において実名署名活動が展開されている。 1999年の成立時に党体制として反対を唱えていたのは日本共産党であった。規制ではなく社会的な抑制で問題を解消すべきという立場からである

並行する主張と、独走する規制
インターネット上などで匿名にて規制反対の主張を行っている者の中には、インターネット上に公開されている各種統計情報を引用し、あるいは独自にこれら統計情報を組み合わせた上で自論強化を試みる者も見られる。ただ実質的に規制推進派側の統計も、規制反対派が引用する統計も、どちらも明確に性的描写を含むゲームの有無といった相違によるデータでは無い事が多く、双方の見解や主張がかみ合うことは、ほとんど見られない。まして双方が一堂に会して議論する事はほとんど見られず、主張は延々と交わらずに平行線を辿っている。

その一方で地域の教育環境維持を目的として施行され、実質的な販売規制の対象ともなる有害図書の指定の策定にあたり、都道府県教育委員会が所定のゲームソフトに規制案を出す等すると同種の議論が活発と成るが、過去のそのような事例でも、これらユーザーの声は「ネット上の一部意見(=サイレント・マジョリティには支持されている)」として、実際の規制推進筋からはほぼ黙殺されているのが現状である。

有害図書の項を参照されたし。
米国では古くよりメディア規制論に業界団体が大きく反発して違憲論争に発展するケースすら見られるが、日本では近年のゲーム業界自身がレイティングの施行と自主規制に積極的な傾向が強い。この業界サイドの規制受け入れ傾向に関連してユーザー層の危機感は根強く、所定作品への思い入れから、これら規制受け入れ案に強い拒絶反応をメーカーや業界団体側に表明する者も見られる。従来、そのようなユーザーの意見は、業界側では「愛用者の貴重なご意見(あるいはクレーム)」として処理され、実際の制作・販売面での自主規制といった動向に影響する様子は、特に見られなかった。

しかし近年に入ってインターネット普及率が急上昇すると、メーカーとユーザーの意思疎通が図り易くなり、メーカー主体の自主規制強化といった方向性にも変化も見られる。一部のゲームブランドにおいてはユーザー層の反発が公式掲示板やWebサーバーを運用不可能状態(荒らしなどの問題行動を含む)にしてしまうなどの抗議活動が起きることもある。この動向にどれほど絡むのかは不明ではあるが、メーカーによってはより「緩い」倫理基準を掲げる業界団体に切り替えるなど、自主規制の程度を見なおすメーカーも増加中である。(→コンピュータソフトウェア倫理機構#問題点)

曖昧な基準
日本において、規制を行う団体によっても、その対象・程度にばらつきも見られ、客観的に何処までが容認されるのか、何処からが規制されるのかと言う面で、レーティング設定も業界ごとに規制対象がまちまちであり、業界側は問題が無いとして発売した物に対して、他の団体が規制をかけるといったケースも少なくない。

学識的・理知的な裏付けがない場合や、団体各々の主観で判断している部分もある。これが規制導入側にしても、その影響を被る側にしても混乱を招く結果となっており、米国に見られるような明確な統一基準が望まれている。

この状況を打破する目的も含め、2006年4月より経済産業省の指導でCESA、ソフ倫、日本アミューズメントマシン工業協会、映倫管理委員会、日本ビデオ倫理協会と映像コンテンツ倫理連絡会議(仮称)において審査基準・表示の一本化を協議することが決定している。

自主審査機構
ソフ倫の登場
1980年代は「成人向け」という概念も無く、性的描写を含むソフトウェア類は単純に「エロソフト」等と呼ばれていおり、年齢制限には無頓着であった。 これはパソコン本体を購入する層は、一般者層より(本体自体の価格が、当時の新入社員初任給の2か月分以上程度のうえ、操作法が複雑であったため)、オタクとよばれることの多い操作技術の習得と投資をいとわない人間層が多かったことも一因と考えられる。

性の表現についてはメーカーの裁量に委ねられており、際どい部分を全く表現しないか「自主規制」という形での修正処理をするのが一般的となっていた(もっとも、これら修正処理は「裏ワザ」で外せる場合も多かった)。

だが、次第にアダルトゲームは問題視されるようになる。1986年には、刑法177条(強姦罪)からタイトルを取った『177』(マカダミアソフト=デービーソフトの一部門)が、草川昭三により国会で取り上げられた。そして1988年に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件や、それに端を発した有害コミック騒動によってポルノ業界そのものへの批判が強くなっていく。

1991年、京都で中学生がアダルトゲームを窃盗した事件をきっかけに、アダルトゲームの規制の緩さが追及され、開発会社の社長が逮捕された(沙織事件)。これに対し日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会は、性的描写が存在する旨を明記したシールをメーカーに販売した。しかし、宮崎県でソフトウェアを有害図書の一種とする条例が成立するなど、アダルトゲームを槍玉に挙げる流れは続いたことから、アダルトゲームを一括して管理する団体が求められるようになる。他の分野では1990年にコミックマーケットが幕張メッセを使用できなくなる事件、それに伴いコミックマーケットでの性的表現自主規制が強化される事件が発生し、非実写性表現のあり方を問われた時代でもあった。

1992年、自主規制団体コンピュータソフトウェア倫理機構(以下ソフ倫)が設立された。性表現の規制については日本ビデオ倫理協会(以下ビデ倫)初期の規制を参考にしたが、実写を管理することを目的としたビデ倫の規制は、主に絵が主体であるアダルトゲームでは必ずしも実態に見合ったものとはならず、後に規制及びソフ倫に対する不信感を生むこととなった。

審査機構の多様化
ソフ倫は業務内容が公表されず、協会に人員を提供している制作会社には審査が甘いという意見を持つ人もいたりと不透明感が高い、ユーザーサイドの求めるものとの格差が大きいことから、ユーザーやメーカーは不信感を抱いていた。その上、1999年に施行された児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の影響などにより、18歳未満の男女キャラの性的描写の禁止や、ゲーム内において使ってはいけない言葉(いわゆる「NGワード」)の規制が年々強まり(例えば「学校」という言葉を「学園」に言い換える、など)の拡充など、規制は増すばかりであった。ソフ倫はパソコンソフト卸会社との連携を重視していたため、ソフ倫に加盟し規制に従わなければ事実上アダルトゲームを売れない状況にあった。

2001年、当時人気を博していた『君が望む永遠』(アージュ 2001)が、画像の修正処理に不手際があるとして回収された。ソフ倫は部分審査の体制を取っているため、審査漏れ自体は珍しいことではなく、規制漏れによる回収もこれが初めてではない。しかし、この部分審査の体制と回収の際に何ら補助の無いこと等に不信感をあらわにしたアージュはソフ倫を脱退する。

アージュ作品を取り扱っていたソフトウェア卸売会社ホビボックスは、アダルトビデオの自主審査機構だったメディア倫理協会(現・コンテンツ・ソフト協同組合メディア倫理委員会、以下メディ倫)にアダルトゲームの審査を行うように働きかける。そしてアージュは2003年にメディ倫審査のアダルトゲーム第1号となる『マブラヴ』を発売した。当時のメディ倫はソフ倫と違い、全ての素材を審査する完全審査体制を取っており、かつ規制も若干緩いもの(卑猥な用語への修正の是非等)であった(この事態に一部の店舗ではソフ倫審査作品以外は扱わない方針を取ったため、一部店舗に『マブラヴ』が入荷しないという事態も起きる)。そして2004年初頭には数々のブランドを抱える大手・テックアーツがメディ倫移行を表明、前後して主に中堅以下の数ブランドがメディ倫へ移行した。

これに対し、ソフ倫は近親の性的描写の緩和等の規制緩和を行った。このことは、以前の審査基準には何ら明確な意味が無く、顧客(メーカー)の流出を恐れる儲け優先の体質が浮き彫りとなった。そのことにより、ユーザーやメーカー等からさらなる不信感を煽る事となる。

特定表現の自主規制
近親相姦描写
1980年代は業界に明確な規定は存在せず、作ろうと思えば近親相姦ゲームは作れる状況にあった。しかし、1991年沙織事件が起こった後、近親相姦に関する規制は強まった。問題となった『沙織』には兄妹と父娘の相姦画像が幻覚という設定ではあったが含まれていた。

ソフ倫が設立されたのは沙織事件の後であるが、その大まかな指針として近親相姦の描写のあるゲームの規制を行っていた。しかし、この時点では正式には規定されておらず、それほど過激でなければ許されており、通過する作品も少なくなかった。当時の作品としては兄妹相姦の描写のある『夢幻泡影』(ALICE SOFT 1995)、『魅惑の調書』(BLACK PACKAGE 1996)、『アトラク=ナクア』(ALICE SOFT 1997)などの作品があるが、当時は近親相姦そのものよりもストーリーや性描写の方が重視される傾向にあった。ソフ倫を率先していたD.O.すら『雑音領域』(D.O. 1996)で兄妹相姦を扱っていた。シーンはないが『雫』(Leaf 1996)でも兄妹相姦は話題にされていた。

だが、1998年12月に発売された、父と息子、母と息子、妹と兄、姉と弟の相姦という過激な話を取り扱った『コ・コ・ロ・・・』(アアル 1998)が販売禁止処分を受け回収され事態は急変する。この作品は、近親相姦の相手を義理の関係にして再発売され、後のゲームにおける近親相姦のパターンに大きな影響を与える事になった。義理であっても傍系血族であるから近親に分類されるが、近親婚の禁止について民法第734条の但し書きに養子の異性(傍系のみ)とはこの限りではないとあるため、婚姻は可能で公序良俗に反しないとされたのである。

『コ・コ・ロ・・・』の販売禁止の半年後の1999年6月22日、コンピュータソフトウェア倫理機構・倫理規程の改定により、近親相姦描写の禁止は成文化された。これは1999年11月に施行された児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律に対応したものであった。同時に同性愛の表現も規制されたため、弟や兄や父との近親相姦の描写も困難となった。ちなみに、近親相姦の描写については、この時点で官能小説や成人漫画においては不可ではなかったが、AVでは日本ビデオ倫理協会が禁止事項としていた。

この直後『シスター・プリンセス』のヒットによりいわゆるメディアミックスにかかる分野全般で「妹ブーム」と呼ばれる現象が起きた。もっとも「妹ブーム」とはいっても、先駆けとなった『シスタープリンセス』をみてもわかるように、ブームとなったのはあくまでも"義理"の妹だった。義理の妹はソフ倫でも禁止していなかったため、ブームにのっていくことになる。結果として『みずいろ』・『D.C. 〜ダ・カーポ〜』などを筆頭に、義理の妹を前面にだした作品が売れる。一方、かつてはそのまま出せたゲームも移植などの再発売では規制の対象となり、父娘相姦のシーンのある『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(elf 1996)もWindowsに移植される際に伏字だらけになってしまい、興趣を大きく殺がれるものとなってしまった。他にも前述の『雫』がリメイク発売される際には、規制に適合させるため、義理の兄妹という設定に変更された。ソフ倫の審査を通さずに出したゲームでは21禁の『実姉妹 ?濡れた相姦図?』(ANALOG FACTORY 2002)が存在したが、ゲーム内容もありそれほど評価は高くなく、ソフ倫非審査を理由にゲーム流通にもあまり乗れなかった事から話題性に欠ける事となった。ソフ倫を通過した作品であっても、『腐り姫』は近親相姦を直接的に描かずに仄めかすに留めることで発売され、好評を博した。

他方、この頃から近親相姦を扱った官能小説のライターなどの働きかけをきっかけとして、ソフ倫加盟メーカーの間に規約改定を要求する風潮が高まってゆく。また、2003年にメディア倫理協会(メディ倫、現在のコンテンツ・ソフト協同組合の前身)との業務競合が始まると、メディ倫がゲーム向けに定めた規制内容との比較などからソフ倫は過剰規制という批判にさらされる事になった。さらには、表向きは別としても実態として顧客メーカーのメディ倫への流出を恐れたソフ倫が、それまでの規制の再検討を行う事態に発展してゆく。この結果として、規制の箍は徐々に緩み始め、仮想世界における兄妹相姦を描いた『こころナビ』(Q-X 2003)や、脳だけ姉という設定で展開される『タナトスの恋 ?淫姉弟相姦?』(Red Label 2003)が発売された。また一方で義理の弟との兄弟相姦の描写のある『恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの』(CAGE 2003)が発売されるなど同性近親相姦の規制も緩まっていく。一方同人でも2004年6月『夏の燈火』(Circle Mebius)などから兄妹相姦を扱うものが現れ始めた。

そして、2004年秋に規約が改定され近親相姦の描写は解禁となった。同時に獣姦描写も可能となった。その後『死妹人形』(九頭龍,2004)が10月29日に発売され、一回のみながら実の兄妹の近親相姦シーンが出る。11月26日には『ALMA?ずっとそばに…? -Complete Edition-』(Bonbee! 2004)も発売される。

現在は近親相姦描写においてもニーズの多様化が起こっており、実の妹のみならず実の姉や実の母を対象としたゲームも存在しており、一定の売り上げを確保している。だが、義理の関係を扱ったゲームがそのストーリー性でメディアミックスが好調であったのに対し、こちらはメディアミックスに関しては低調である。近親相姦をテーマにした作品は少女漫画ではかなり著名なものが多いが(例:『天使禁猟区』『罪に濡れたふたり』『僕は妹に恋をする』)、アダルトゲームの場合は精神的葛藤や苦悩がさほど描かれず、即物的にその背徳感を楽しむのが主眼であるものが多いためか、アダルトゲームのプレイヤーたちの間すら広範な一般受けはしておらず、好き嫌いがはっきりと分かれる傾向が強い。

2009年01月28日

甲賀流と並んで忍術の中で最も有名

伊賀流(いがりゅう)とは、甲賀流と並んで忍術の中で最も有名な流派の一つ。

今の三重県伊賀市と名張市にあった。普段は農業をしたり、行商をしたりして各地の情報を探る一方、指令が下ると戦場やその後方へ出向き、工作活動に励んだ。

山を一つ隔てた場所に存在する甲賀流と異なる点は、甲賀忍者が1人の主君に忠義を尽くすのに対し、伊賀忍者は金銭による契約以上の関わりを雇い主との間に持たない点であるとされる。
レコーダ ケース チトク 時代の扉 僕達の舞台 フットホ セット リーダー ムーミン カーラ ヌーベ エンジェル ケーエフ マスメ ブラウ フェース コモン キモスタ スクハ プリン ユーロダ マリーナ ジョイント 天慶 シーザー ビブ シンプトン カラー ロケオ カザノ カラー レタッ サラマ トラン ロスタ マカラ グルプ アニメ クレス シーズンオ トンネル セリウ 楓の小舎 杜仲 サーチズミ ピース パラグ チポフ チョイス ムード

また、伊賀流の訓練法は独特さをもって知られており、例えば顔の半分を紙で覆い、紙を顔から落とす事なく一里以上を走りぬく等、幼少の頃から厳しい訓練のもと、優れた忍者を育てる事を伝統としてきた。伊賀郷士はしばしば雇い主が敵同士の場合でも、依頼があれば双方に忍者を派遣する実例をも持つ。そのため他の郷の忍者よりも一層、例え仲間であろうと即座に処断できるような厳酷な精神も求められた。「抜忍成敗」はその極みとも言うべき物で、裏切りや脱走はいかなる事があっても認めない、という物である。

歴史
伊賀は伊賀守護仁木氏の傘下に属しながらも、「伊賀惣国一揆」と呼ばれる合議制の強い自治共同体が形成されていた。だが伊賀の場合、実力者である上忍三家(服部・百地・藤林)の発言力が強く、合議を開いても彼らの意見に従うことが多かった。逆に甲賀は「惣」と呼ばれる自治共同体を形成していたが、各々が対等な立場にあった為に多数決の原理を重んじ、「伊賀惣国一揆」の運営ぶりとは対照的であった。一般的には伊賀と甲賀は互いに相容れない宿敵同士というイメージがあるがこれは誤解であり、一つ山を挟んだ、言わば隣人同士で争いあっても何の得も無い。むしろ伊賀の人々と甲賀の人々は常に協力関係にあり、どちらかの土地に敵が攻め込んだ場合は力を合わせて敵を退けるよう約束していた。

天正伊賀の乱
1579年、伊賀忍者の一人・下山甲斐は仲間を裏切り、織田信長の次男信雄に伊賀の団結力が衰えだしたことを報告し、侵略を進言した。下山の言葉に乗った信雄は直ちに国境にあった丸山城を修築し、侵略の拠点とすることにした。だが信雄の企みはいち早く伊賀の人々の耳に届き、放たれた忍者達の奇襲によって信雄は大敗を喫してしまう。これが第一次伊賀の乱である。

この結果に激怒した織田信長は、勝手に軍を動かした信雄に激怒し絶縁すると脅して諫める一方、2年後の1581年には自らおよそ四万の兵を率いて伊賀に攻め込んだ。これを第二次天正伊賀の乱という。驚いた伊賀の人々はすぐさま総力を挙げて信長と戦うことを決意する。だがかねて協力体勢にあったはずの甲賀忍者の一人・多羅尾光俊の手引きにより伊賀忍者からさらに二人の離反者が発生し、織田方の蒲生氏郷の道案内をおこなった。これにより伊賀の人々が立て籠もった城は次々と落ち、最後の砦・柏原城が落ちた時点をもって天正伊賀の乱は終わりを告げた。

乱後
しかしその後も生き残った伊賀忍者は徹底的に探し出され、処刑された。刎ねられた首の数は一日に三百から五百ともいわれ、合計すると数千ともいう。それでもなお伊賀の忍者達全員を殺すことはできず、捜索の手から逃れた忍者達は全国に散った。やがて本能寺の変で信長の死を知った伊賀忍者たちが一斉蜂起し、各地で争いを繰り広げた。

たとえば本能寺の変の直後、堺にいた徳川家康が服部正成らに護衛されながら三河国へ逃げ戻ったことなどは有名である。これを伊賀越えと呼ぶ。

江戸時代
江戸時代には、上述の「伊賀越え」の功績を認められ、一般に服部半蔵として知られる服部正成のもとに伊賀組同心として幕府に召し抱えられている。なお、このことから服部正成自身も忍者であったかのように言われることがあるが、正成自身はむしろ普通の戦働きでならした侍であったらしい。詳しくは服部正成の項目を参照のこと。

因みに、甲賀の地が織田信長を経て豊臣秀吉の支配下に入ると、甲賀忍者達は徳川家康の監視活動を主な任務に命じられる。その結果、伊賀忍者が甲賀忍者追討の任にあてがわれた。この事は江戸時代になって、「伊賀忍軍対甲賀忍軍」という形で講談や読本の題材となった。が、実際にはこれは徳川と豊臣との代理戦争に他ならなかったのである。

有名な伊賀忍者
服部半蔵
百地丹波
藤林長門守
伊賀崎道順

忍者
伊賀流忍者博物館
忍者議会

伊賀流をモチーフとした作品
服部半蔵・影の軍団
伊賀の影丸
忍者ハットリくん
陰からマモル! - 主人公の母親、その遠縁であるヒロインの一人とその友人が伊賀忍者と設定されている。
隠の王 - 忍の五大勢力の一派としての事が記されている。

2009年01月20日

体系化された知識や経験の総称

科学(かがく、英: science )という語は文脈に応じて多様な意味をもつが、おおむね以下のような意味で用いられている。

(広義)体系化された知識や経験の総称であり、自然科学、人文科学、社会科学の総称。
(狭義)科学的方法に基づく学術的な知識、学問。
(最狭義)自然科学。
「科学」という語はラテン語の scientia (知識)に由来する。science という語は、17世紀の科学革命のころまでは、体系化された知識や経験の総称という意味で用いられてきた。なかでも、観察や実験に基づく体系的な学問という意味では、natural philosophy (自然哲学)やexperimental philosophy (実験哲学)の語が用いられていた。今日でも「科学」の語は、自然科学、人文科学、社会科学の総称としてしばしば用いられる。

人類は太古の昔から、自分たちをとりまく自然界の現象や自身の人体の構造について関心を抱き続けてきた。歴史上、古代オリエント、古代インド、古代中国をはじめとするさまざまな文明圏において、これらの関心対象を説明するための知識や経験が蓄積され、学問として体系化されていった[1][2][3]。古代に形成された学問の諸体系のなかでも後世に大きな影響力を残したのが古代ギリシア・古代ローマの自然哲学である。中世においてはイスラム科学が最も先進的な地位を占めていた。後進ぎみだったヨーロッパは、イスラム諸国から科学や技術を輸入し、長い年月をかけて追いついた歴史がある[4]。

しかしこれら古代から中世にかけての諸学問は、客観性や論理的な推論の過程を重視する学問的態度を伴ったものではなかった。すなわち、今日の自然科学が不可欠の要件としている態度である論理実証主義を欠いていたのである。例えば中世の大学での講義では、現実の観察結果が古典に書かれた内容と異なるものであれば、古典のテクストが正しいとされていた。

20世紀の歴史学者ハーバート・バターフィールドは、17世紀のヨーロッパにおいて、自然現象を単に眺めて考察するという状態から一歩進んで、自然法則が作用する環境をさまざまな撹乱要因を取り除いて人為的に作り出す試み、すなわち実験(冒険)という手法を採用して、実証的に知識体系を進歩させていくという知的営為が形成されたとする。バターフィールドはこれを「科学革命」と名付け、人類史上における一大画期であるとして高い評価を与えた[5]。

科学的方法に基づく学問としての科学
科学的方法も参照

タイム ハンド トリニタ テンシル ファクトリー ふたつ星 はなの舞 ブロイラー スペクタ だっと ラマズダ キーバス 後ろゆび ドラッ エンド もくと トップラ ヒップ トルテ ドーパミン ボケ インタ ファミ テレポ ぱらぴーの タリカ ピューレ カピタン セブサー 春一輪 レイガイド ポット レグルス ロビイ 秘密の花園 コバノ リンワキ ソフトサーチ ムチャコジ オルガン ゲッツ スプーン ランタ しゅいろ うしべに パンパ ブザー ロカール ランダム サブアリ

よく、「科学は物事の起こる理由を説明するもの」と説明されるが、これは間違いではないものの、科学の実態を正確に説明しているとは言い難い。世の中に見られる現象は、一見不思議なことは数多い。これがなぜかを知りたくなるのであるが、直接にそれを誰かに尋ねることで答えを得るのは難しい。聞かれた方がわからないから、適当に答えたのが神話の発祥かもしれない。

それに対して、こうすればこうなる、といった事象を集めることから、原因と結果を探してゆくのが科学的方法である。言いかえれば、究極的な目的であるなぜ(Why)を一端棚上げにして、まずいかなる状態で、どのような(How)現象が起きているのかを記述するとこと、どのような条件下で何が起きるかを記録し、それに基づいて因果関係を分析しようとするのが科学である。そのような情報をかき集めて、一定な条件を集めれば特定の結果が得られることを示せるならば、重要な結果を得たと言えようし、その間の科学的説明ができるならば、科学の発展にそれなりの貢献ができたと言えよう。

その意味で、帰納法こそが科学の原点である。 科学革命の時代以降、科学的方法が次第に形成され、科学の具体的な方法論・手法・記述法などについて、各分野の科学がその対象の性質に応じてふさわしいものを地道に発達させてきた。ただしどのような方法なら科学的と見なせるのかという境界線は必ずしも明らかなわけではなく、科学者らは議論を重ねてきた歴史があり、現在でも議論は続けられている。現代における一つの指針としては、全米科学振興協会によるすべてのアメリカ人の科学(詳細は科学的方法を参照)がある。

数世紀におよぶ議論は混沌としていたが、20世紀前半の科学哲学者カール・ポパーが反証可能性の概念を提示し、それを条件とすることで理論が科学(彼が考える狭義の科学)に属するかそうでないかを線引きできることを示してみせた。混沌とした議論に悩まされ続けていた科学者らの中には反証可能性の概念や反証主義をひとつの解決策として歓迎する人が多かった。現在でも、これを科学と擬似科学とを区分する基準として採用する人は多い[6][7]。

ただしこうしたポパーの科学観に対しては1960年代から批判が加えられるようになった。その代表は科学史家トーマス・クーンのパラダイム論である。パラダイム論によれば、観察は、データを受動的に知覚するだけの行為ではなく、パラダイムすなわち特定の見方・考え方に基づいて事象を能動的に意味付ける行為である。従って、パラダイムそのものは個別の観察によって反証されるのではなく、別のパラダイムの登場によって「パラダイムシフト」の形で覆される。

また、科学に属する諸学問は科学であるが、科学そのものは科学的ではなく一種の思想であるとする意見もある。分類可能性と予測可能性は厳格なカオスを除いては一体不可分であり、もとより科学は過去の知見を元に未来を予測する性向を強く持つ(自然の斉一性)。このため「科学的」でさえあれば未来の予測は正しいとの確信を招きがちである。このような確信は、論理の前提とすべき命題の不知、確率的現象やカオスの存在によりしばしば裏切られる。